平成26年7月号
(第195版)
〜 瀬母子会 〜
 
サンヒルきよたけ  村崎

私は、サンヒルきよたけデイケアに勤務する村崎です。
今年4月に10年勤続を迎え、朝礼で表彰してもらいました。このエコーリレーで、10年を振りかえっての事を書こうか迷いましたが、今回は息子(現在20歳)の少年野球を通して知り合った仲間との交流を書く事にしました。私の息子は、小学2年の時、少年野球に入りました。

小学校には、校区外の範囲には、出ては行けない決まりがあり、少年野球のグラウンドが、校区外だった為、学校が終わりしだい1年間、車で送迎しました。週2日は、走り込みやグラウンド内のボール探し、時には虫取りなど低学年の子供には興味深いものだったようです。又、ボールが見えなくなるまでグラウンドで基礎練習をしてもらい、毎日が目まぐるしく過ぎ、4年生の時に違う学校から2人の小学生がチームに入部し、息子の学年は、4人となり活気付き、九州大会の試合で勝ち残り、福岡ドームで行進した事が、子供には良い思い出ができた事でしょう。6年の卒団式を迎える親たちは、役員の仕事から解放される安堵感と、今まで協力してきた父兄との別れは、寂しくも感じていました。6年の時、会長をしていた方から学校は違がったが、同じ学年で野球を通じて知り会った仲間なので、3ヶ月に1回の交流会を行なっては、と声が上がり会長宅を始めに、次は副会長、会計、と野球当時の役割分担の順序で、この8年間3軒の父兄や子供を交え、家周りで手料理2品と、自分で飲む飲み物を持参し、担当月の家で、飲み会を行なっています。始めの頃の会話と言えば、少年野球で の練習試合の結果や、グラウンド内に水が溜まって練習が出来ない時、子供たちとスポンジを使い水のかき出しをした事、暑い中、草刈をした事。他の野球チームが来た際、母親たちの炊き出し苦労話など、盛り沢山の思い出話だったり・・・。

交流をして行く間に少しずつ会話の内容が変わり、子供の就職になったり、孫が出来て、孫中心の生活になったりと、いろいろな話に変わっていきました。最近では腰痛、痛風で体の不調が出てきた事や、髪が薄くなり地肌が見えてきたなど、年をとった事を感じる話へと変わりつつあります。この前5月に交流会を行なった時の会話が今度は、両親の介護について、どう考えているのかなど現実をおびた話でした。

 

1人の旦那さんが次の交流会では、会話がお墓の話になっていたりするかも・・などと。少年野球
の試合の話から、年齢を重ねて行く間に話の内容も変化しています。私たちが少年野球を通して知り合えた仲間との交流会を継続している姿を見て、子供達も同じように良き仲間にめぐり合えて欲しいと思っています。今後も交流会は大切に続けて行きたいと思っている今日この頃です。

〜 ありのままに・・・ 〜
 
赤江介護支援センター 清武
 赤江在宅介護支援センターの清武です。迫田病院に入職して5年目になります。私の仕事は要介護状態になった方を、家族、他職種、地域の方と協力して住みなれた自宅でいつまでも、生活できるよう手助けする仕事です。心身状況の変化で介護度が重くなり本人からの訴えが少なくなった時、あまり真面目な顔をして接すると、怒っているように見えます。だからニコニコすることを一番にこころがけています。しかし、自分の体調が悪い時や、精神的に落ちこんでいる時はその笑顔が、こころからの笑顔ではなく職業病と感じます。私事ですが、去年の10月に、待望の初孫が生まれました。最近では人を見分ける力がついたようで、無心に笑ってくれます。その笑顔は自然に周りを 笑顔にし、幸せな気分にしてくれます。しかし大人になると社会から様々なストレスを受けます。心と体が雁字搦めになり、経験から笑う場面を瞬時に判断します。そしてトラブルが起きない時だけに笑うようになります。素直な自分に戻りたいと思っていても、周りを気にして気持ちを正直に出せなくなるからです。
悩み・苦しみ・まだ起きていないことをくよくよと心配したりして孫のように無邪気に笑ったのはいつのことだったか・・・
 年齢とともに、体力の低下を感じます。気分も落ち込みがちです。去年の暮れは尿管結石で夜間に救急病院にいき、石がでるまでは、痛みとともに違和感がありました。おとそ気分もぬけない、今年の初め玄関先で転倒して左目の上を切り5針皮膚科で縫いました。正月早々、ついてないなと思いました。「お母さん私が家事はするからいいよ」「俺があまり忙しくさせすぎたかな、無理せんでもいいから」といつになく家族が私をいたわってくれました。

怪我は痛かったけど、心がほっこり温かくなりました。最近気づいたことがあります。どんなに辛いこと、悲しいことがあっても、 母・夫・倅・嫁・娘、親戚、知人、そして多くの縁ある方のやさしさに支えられて今の自分があるんだということです。来年は大台に乗りますが、思いっきり元気に乗り切って、ありのままに自然体で生きていこうと思います。そしていつもとびきりの笑顔で、利用者に接していこうと思います。最後にこれから出会う様々な人に支えられながら、孫もこのすばらしい土地で精一杯生きて欲しいと思います。