平成26年2月号
(第190版)
〜 産みの苦しさ 〜
 
サンヒルきよたけ  小林

みなさん、こんにちは。私はサンヒルきよたけデイケアの小林です。月日がたつのは早いもので・・・私が耕和会に入職してから19年となってしまいました。 この19年の間、いろんなことがありましたが、やはり私の中での一番の出来事は『母親となったこと。』両親や親戚、はたまた友達や同僚、まわりのみんなから心配され続けた37年目に主人と出会い結婚、そして38歳で念願の母となりました!これまた高齢出産の初産ということもあり、自分自身の不安もさることながら、やはり両親には一番心配をかけたかも知れません。
  平成24年10月1日 午前3時、自宅にて破水し、慌てて主人と産婦人科へ駆け込みました。病院へ着くなり陣痛がはじまり、順調に分娩室へと入りました。日向からは両親も駆けつけてくれ、家族全員が見守る中、初めての出産へと挑みました。 もちろん生まれて初めての経験であり、右も左も分からない私は、産科の先生や助産師さんの言うとおりに、息を吐いて〜吸って〜そしていきむ!を繰り返しました。「さぁ〜、もう少しだよ!ほら頭が見えてきた!」そんな声に励まされながら、少しずつ外の世界へ羽ばたこうと頑張る我が子との二人三脚でのお産の途中で、緊急事態が発生してしまいました。私がいきめばいきむほど我が子の心拍数が下がっていったのです。「ママが酸素をいっぱい吸わなきゃ、赤ちゃんも苦しいよー。」そう言われた私は「この子を守れるのは私だけしかいない!」と無我夢中で深呼吸を繰り返しました。しかし、我が子の心拍数は見る見るうちに消えてなくなりそうに弱々しくなっていきました。そして緊急帝王切開への切り替えにて出産することを余儀なくされてしまいました。正直、ここまでの記憶しかありません。麻酔により深い眠りにつきました。そして、破水してから約10時間後の平成24年10月1日 午後0時31分、2670gの五体満足な男の子を無事に出産することができました!
  後に母から聞いた話、帝王切開の手術中も、手術を終え病室に帰ってきてからも、意識が朦朧とした中で、私は深呼吸を何度も何度も繰り返していたそうです。「この子をそう簡単に死なせてなるものか!」そんな執念が私をそうさせたのかもしれないと思うと、自分でも自分が誇らしかったです。母親としての自我が目覚めた瞬間だったのかも知れません。

  そんな大変な状況で産まれた息子も、今では1歳3ヶ月の超元気なやんちゃ坊主に成長し、保育園デビューも果たしました!「産むのも苦しいけど、育てるのはもっと苦しい。」とよくうちの母が言っていましたが、まさにそうかもしれません。息子を産むのにも大変苦労しましたが、「育てるのは体力勝負!」とただいま育児奮闘中です!人より若干遅く!?訪れた幸せを噛み締めながら、そして産みの苦しさを忘れることなくこれからも母は頑張ります!!
〜 福祉の仕事を目指したきっかけ 〜
 
宮崎市赤江北地区地域包括支援センター 古川
  赤江北包括にて働いています。古川拓矢です。今回恐怖のエコリレーが回ってきましたが書くネタが見つかりません。結婚もしていないし、もちろん子供もいません。趣味は・・・と考えましたが最近寒くてなにもしていません。ヤバイ・・・ネタがないと思い、なぜ福祉の仕事を始めたのかを考えてみました。 思いおこせば12年前の高校3年生の10月でした。なんとなく『理学療法士』になろうと思い宮崎市の専門学校を受けようと思っていましたが、担任や進路指導の先生より「使っている教 科書のレベルが違い過ぎるから諦めなさい!!」と言われました。その時初めて知ったのですが、我が電気科は普通科と比べて使用している教科書が簡単だったようです…。

  進路変更を余儀なくされ、「理学療法士に近いから福祉の世界にいこう。でもオムツ交換はしたくないなぁ…」と思い選んだのが『社会福祉士』でした。専門学校へ願書や小論文などを提出し後は受験を待つだけでしたが、ある日急に高校の応接室へ呼ばれて行くと、そこには坊主で体格の良い強面の人が満面の笑みで立っていました。話を聞くと日南の介護福祉の専門学校の人であり、入学金や授業料を免除する為入学して欲しいとスカウトされました(笑)。しかも試験はその週の土曜日!!迷う時間もなく、気が付いたら土曜日に日南にいました!入学後は無事オムツ交換にも慣れ、介護福祉士の資格も無事に取得。専門学校の卒業式で「そういえば古川は社会福祉士を取りたいと言っていたなぁ。大学に編入すれば2年で取れるぞ」と当時スカウトしてきた強面から言われました。「オムツ交換したくないから社会福祉士になろうと思ったんですけど…」など言う事が出来ず。心の中では「これ以上勉強したくないから絶対行くもんか!!」と思っていましたが、その1年後には九州保健福祉大学(通信教育)に入学していました。働きながらの試験やスクーリングは予想以上に大変であり、1年留年したり社会福祉士の試験に3回ほど落ちたりし、現在に至ります。苦労して取得した資格なので自分にはなにができるかを考えながら仕事をしていきたいと思います。そして高校生の時に出会った強面に人生を大きく左右されてしまいましたが、良い方向に導いて頂いたと感謝しています。こんな私ですがこれからもよろしくお願い致します。最後に写真もないと寂しいので今までの釣果を披露したいと思います。