平成25年7月号
(第183版)
〜 『はじめまして』 〜
  
サンヒルきよたけ 介護職 山中

   今年4月から、サンヒルきよたけ療養部入所係で介護職として働かせて頂いています、山中大輝と申します。今回初めてのエコーリレーを担当することになったので軽い自己紹介と最近の出来事を書きたいと思います。
    私は鹿児島県肝属郡肝付町という小さな町で山中家の長男として生まれ、育ってきました。自然豊かで【山】【川】【海】【滝】と遊ぶ場所もこの4つしかなく毎年暑くなると必ず滝に遊びに行き涼んでいました。肝属郡肝付町といえば小惑星探査機はやぶさを打ち上げた地ということで2010年6月13日に、はやぶさが地球に帰還した時には町民全員が祝福し盛り上がりました。私は18歳まで親の元で生活していましたが宮崎県の田野町にある専門学校に通うため宮崎で一人暮らしを始めました。全く知らない土地に1人で生活するのは不安や寂しさもありましたが、宮崎の温かい人柄に恵まれスグに馴染むことができました。
2年間の学生生活も様々なことを体験させて頂き、充実した日々を送りながら無事学校を卒業することができました。入職してからあっという間に3ヶ月がたち、仕事や職場の雰囲気にも慣れ始めてきました。1ヶ月がたったころには初任給をいただき私はもちろんのこと、親も初めての給料だということで喜んでくれました。高校生の頃からバイトし、お給料を頂いていましたが、初任給というのはやはり同じ給料でも違った物を感じました。そんな初めて頂いたお給料で今まで沢山の迷惑をかけてきた親にご飯をご馳走したいと思い久々に実家に帰りました。母は私が帰ってくるということで、机いっぱいにご馳走を用意して私の帰りを待ってくれていました。父と妹は先にご飯食べていました・・・。翌日父は仕事だったため朝早くに家を出て行ってしまいました。仕方がないので母と妹、母方の家族とご飯を食べにいきました。母方の祖母は現在入院しておりますが、私が帰ってきてお昼をご馳走するという話をきくと急遽病院に外出届けを出し一緒にご飯を食べにいきました。以前祖母のお見舞いにいった時、食事には一切手を出さず痩せ細っていましたが、今回一緒に食事をした時には沢山の量のご飯を美味しそうに食べており私も大変嬉しかったです。祖母だけに関わらず母や妹も美味しくいただいたと言ってくれました。今回は残念ながら父と父方の家族にご飯をご馳走することができなかったため次回実家に帰ったときはご馳走したいと思っているところです。
話は変わりますが、1人暮らしを始め、自分の稼いだお金でやりくりするようになり今まで親に大事に育てられていたことを実感しました。これからも親に助けてもらう事が多々あると思いますが、いつか私が父と母を支えていけるようになりたいと日々頑張って仕事に取り組みたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。簡単な自己紹介と最近の出来事ではありますが、こんな私を今後もよろしくお願いします。

〜 『命のリレー』〜
 
迫田病院 介護士 護摩所

  皆さんこんにちは。2階病棟勤務の護摩所です。今回2度目のエコーリレーを書くにあたり、前回は何を書いたのか思いだしてみると、内容は趣味のこと、そしてそれを書いたのが6年前だったということが分かりすごく懐かしく思えました。
  さて、今回は私の娘のことを書こうと思います。実は今年の4月に長女を授かりました。
思い返すと、妻の妊娠がわかったのが昨年の8月でずっと女の子だったらいいなぁと思っていた私は何度か妻のお腹に向かって念じていました。そろそろ性別が判る頃、産科ドクターがエコーで性別を見ようとするも、赤ちゃんは恥ずかしがってか、なかなか性別が判らず、その後3回トライしたがハッキリせず、ドクタ ー曰く「おそらく女の子でしょう」といわれ、それを聞いた私は女の子だと勝手に確信しました。それから生まれてくる赤ちゃんのためにいろいろなグッツを購入したり、環境を整えたりと忙しい日々が始まりました。予定日は5月の連休明けだったのですが、結果2週間も早く出産することになりました。当日の朝のことは今でも忘れられません。先に入院していた妻から朝、突然電話があり、一言「今日、出産することになった」といわれました。その言葉は涙ながらでした。話を聞くと、本人は自然分娩で出産したかったが、帝王切開で出産することになったのがその理由でした。すぐに病院へ駆けつけ、面会した後、担当ドクターや助産師さんから成り行きを聞きました。二人でしばらく話し、ようやく妻も帝王切開での出産に挑むことになりました。オペ室前まで見送り、数十分後、先に赤ちゃんが戻り、GCU室で初めて娘と初対面した時、赤ちゃんは、一生懸命四肢を動かし、泣いている姿を見た時、なんだか私に「私はここだよ」と言われた気がして泣けてきたと同時に、それまであまり感じることが出来なかった「父になったんだ」とう自覚を始めて自分の中で明確に感じることが出来ました。それから一週間程で母子共に軽快退院し毎日手探りながら奮闘しながらちょっとずつ訪れる子供の成長を見守っています。主に私の担当は沐浴で毎日入浴してます。
よく、良かれと思ってあやしたら「ギャー」と泣かれ妻に怒られることもありますが、これからも、精一杯子育てをやっていきたいと思います。

まだ、父親1年生でこれからもいろんな壁にぶつかると思いますが。病棟にはいっぱい子育ての先輩がいるのでいろいろな子育てについて話し、アドバイスがいただけたら助かりますので、その時は是非よろしくお願いします。 ちなみに。。。私は「イクメン」ではございません! 最後に、私事な内容を最後まで読んでいただきありがとうございました。