昭和32年生まれ。のどかな緑いっぱいの小さな町で生まれ、すくすく過ぎるほど大きく育ち、今では、はちきれんばかりの身体です。
私の実家が50年近く商売をしていたため幼い時から結婚してからもずっと外に就職せず、店の手伝いをしてきました。父が20年前に他界しましたが、その後も、母、姉、私3人で店を続けてきました。しかし、母が疲れてきたのでしょう。姉と私に「もう、店を閉めようかねっ!」といって、それから2ヶ月後に店をしまうこととなりました。
姉は私と違い、美人で器用しかも書道の師範を持っており、前から興味のあったエステの勉強をするため、東京、福岡と行き資格を取得して店を開いている社交的で行動派です。私は実家の隣の空き店舗を改装し、たこ焼き屋を始めました。店舗の前は、東から小学校、南から中学校、北から専門学校と通学路になっていて子供達がよく来てくれました。その子ども達も今では、高校生や父親、母親になっています。しかし、物価の高騰で子ども達のお小遣い程度で買える“たこ焼き”の提供が難しくなり、6年半続けた店をしまうことになり寂しい思いをしました。でも沢山の思い出があり、子ども達の悩みを聞いたり、一緒に泣いたり、笑ったりし、OLさん達のちょっと一息する店で、にぎやかでした。その中で一番思い出深い出来事があり、母親を早くに亡くなった子どもが私のことを「おかあちゃん」と呼んでいて私の誕生日、母の日には、少ない小遣いの中で花やチョコレートを買って来て“プレゼント”をもらったこともありました。涙がとまらず、うれしかったです。
実家の店も閉め。たこ焼き屋も閉め。私にこれから何が出来るのか不安になり、とても悩みました。母は、「私の介護をすればいっちゃが、外で働いたことが無いのやかい、勤まろかっ!」と一言、姉は「外に出て分かる事もある、一度働いて見るといいがね。もしだめな時、母の面倒をみればいっちゃが。」と言ってくれました。
私は3ヶ月ハローワークに通い続けて目に留まったのが“サンヒル・きよたけ”さんでした。それから1ヶ月たって悩み考え、ハローワークに行き面接の日程を組んでいただきました。まず50才にして初めての履歴書、1枚提出するのに何枚も書き、子どもに教えてもらい大変でした。面接の前日は“ドキドキ”して眠れず、面接中の事は緊張で何も覚えていません。しばらく車の中で“ボーッ”としていたと思います。
今では、思い切って踏み出して、よかったと思います。栄養士さんをはじめ職場の皆さんと仲良くしてもらい、助けてもらいながら仕事があることに感謝しております。まだまだ仕事を覚えるのは大変ですが、良き先輩を見習いこの職場に“必要とされる人”になれるよう努力し、勉強していきたいと思います。 |