平成21年6月号
(第134版)
〜 私 〜
 
サンヒル 看護職 川添  

 サンヒルきよたけ 介護部通所係の川添 伸雄です。早いもので、入社して1年9ヶ月になります。エコーリレーがまわってきて、文章を書くことが苦手な私ですが、まずは私生活について知ってもらいたいと思います。
  住んでいるのは、生まれも育ちも、今後栄えていくであろう市内、田野町です。そこに、父親(無口でマイペース、巨人大好きな70歳)、母親(宮崎穎学館寮生の料理を作り、時間があれば畑作業をしている「趣味=仕事」の66歳)、僕(野球大好きな37歳)、嫁さん(データ入力をする仕事のキーバンチャーをし、子供を生んで、ちょっと太り気味? 交際期間を入れると17年になる妻 35歳)、長女(小 6 になったすみれ、小5からバドミントンを始めた11歳)、 長男(小 3 になった大空 < そら > 、4月から鰐塚ジャイアンツに入り、野球人生のスタートを切った8歳)の6人で楽しい生活を過ごしています。個人情報とかありますが、まぁこれ位はいいかな (~_~)
  あまり聞いたことがないかもしれませんが、家でミミズの養殖をしています。なんと健康食品になるんですが、血栓溶解作用があります。すごいんですよ!! 頭の隅に入れておいて下さい。
  話し変わって、私は小学3年から今までずっと野球をやっていて、協調性・忍耐力・責任感・礼儀を学びました。人生においてプラスになったのは言うまでもありません。去年、宮商野球部が39年ぶりに甲子園出場!! OB の私としては感激しました。甲子園を決めた決勝、甲子園での1勝した時の校歌は最高でした。夢と感動をありがとう。寄付・募金に協力頂いたみなさま感謝致します。3年で常連校になる予感が・・・。その時はまた協力をお願いします。
  野球ばかりやってきた私ですが、長女がバドミントンをする事になり、僕も野球とはちがうスポーツを経験出来ています。只今、猛特訓中、月に2回位ですけど ( 笑 ) 、ドロップ・スマッシュ・クリア・ヘアピン・ドライブ・プッシュ、何でもいいです。誰でもいいです。僕にバドミントンのアドバイスを下さい。
  難しいからおもしろい。好きだから楽しい。上手になる為に頑張る。ミスしたら、次はミスしない。新しい事に挑戦し、新しい事を身に付ける。勝つ為に練習、負けない様に練習・・・スポーツ=仕事と考えて今後も頑張っていきますので、みなさまよろしくお願い致します。

〜 母親13年生の願い 〜
 
宮崎赤江在宅介護支援センター 介護支援専門員 鈴木

 パソコンに向かう手を休め、水場から窓の外に目をやると、今日も眩しいばかりの春の日差しが満ち溢れている。私の職場の窓からは、隣接した児童公園がよく見える。ほんのひと月前の寒々した風景からは想像もつかない程の新緑が目に眩しい。そんな光と緑の中を 2 歳前後の愛くるしい女の子が気持ちよさそうに走っている。その向こうで、帽子のひさしに手を当てながら優しく我が子を見守る母親の姿もある。日々利用者の計画を立てる為パソコンに向かうばかりの私の目には、この平穏な光景は羨ましい限りではあるが、主婦業をしていた数年前の私も、誰かの目には、こんな風に写っていたのかもしれない。その数年前の私が目を細めて見守っていた小さな背中は、もうこの春にはランドセルを背負う事を卒業してしまう程に成長してくれました。
  このエコーリレーの話を持ちかけられ、丁度 6 年前のこの時期に主人が、長女の保育園の卒園にあたり、その心境をこの紙面に綴っていました。筆不精では誰にも負ける気がしない私ですが、この偶然が、ただの偶然ではない様な気がして、重い筆をとってみる事にしました。
  私は贅沢にも 3 人の子宝に恵まれ、子供の行事は全て 3 度ずつこなしてきましたが、特に長女の場合は、何をするでも初めてな事ばかりで、親子で手探り状態、初心者マークを額につけて苦労を重ねてきた様な気がし、今回の卒業もとりわけ感慨深いものがありました。この 6 年間の中で最も印象的な事を挙げるとすれば、長女が 5 年生の時、肺炎を患って医師会病院に入院した事だったと思います。下手をしたらこの子を失っていたかもしれないという、未だ経験した事がない足が竦む様な恐怖を今も鮮明に憶えています。幸い 1 週間程の入院で、元気に退院する事が出来ましたが、あれは、子供を授かって 10 年余り。毎日の喧騒から、わが子を持つという喜びよりも、育てる苦労の方が先立つ事が常であった私達に、神様からの戒めだったのかもしれません。とりわけ、主人の狼狽ぶりは尋常ではなく、当時の献身的な看病する姿は、戒めへの償いの様にも見えました。しかし、この事が、私たち家族 5 人の絆を一層深くし、忘れがちな何かを心に刻み込んでくれたことは間違いありません。下の幼い 2 人も、事の重大さを十分に理解し、入院の間、不器用ながらにもしっかり家事を分担し、姉の無事の退院を本当に喜んでくれました。 18 年前に主人に出会い、飯事の延長さながらに家族を持つ様になりましたが、 3 人の子供たちが少しずつ私達を親らしくしてくれている様な気がします。
  その長女も今やランドセルを置き、中学へと進み、私達も中学生を持つ親となります。また、新しい手探りの生活が始まり、喜びよりも不安の方が大きいのが正直な気持ちです。確かに子供が成長するにつれ、家族 5 人で、穏やかに過ごす時間は徐々に少なくなり、いずれはなくなってしまうのかもしれません。その限られた時間の中で、少しでも多くのものを学び、そして少しでも多くの思い出を貯め込んでいきたいと思う。これからも予期せぬ苦難、苦労は絶えない事でしょう。それでも、いつも、いつまでも、あの光と緑の中の親子の様に、優しく、穏やかな時間が、私達家族 5 人の心の中を満たしていてくれる。それができればどんなに幸せだろうと思います。本当に願ってやまない母親 13 年生の切なる願いです…。そんな穏静心地から現実に引き戻す様に、外線の音が鳴り響く。 そうだ、その為にも、今日もせっせと利用者の計画立てに勤しまなければ。と、気持ちを新たにパソコンに向かう今日この頃です。